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深い一人旅の中でこそ、真の共同創造の営みが見えてくる。
本来、すべての個は、とてつもなく個性的。
それは、自分の個性が、ONENESSから出ていることを知っているから。
あなたと私とは、同じ。
どこからどこまでも、すべて同じ。
違うところなど、ひとつもない。
だから、そこには、あなたもいなければ、私もいない。
あるのはONENESSだけ。
すべての細部に宿る、広大無辺のONENESSだけ。
それがあなた、それが私。
そして、すべては、私。
「私」とは、「渡し」。
ふれあいの和の中に、私の光が、渡されてゆく。
そして、私の光があなたに灯り、
巡りめぐって、私が自分の光に祝福される。
その祝福の中に訪れる納得。
そう、ONENESSとは、とってもパラドキシカルなもの。
そう、すべては、同じ。
すべては、ONENESS。
しかし、そのように感じる「感じ方」は、
一人ひとり、すべて異なる。
だから、宇宙は、
光彩陸離の個性に満ちた、無数の個たちの愉快なミュージカル・コメディ!
しかし、現実の試練は、辛く苦しいもの。
しかも、積極的に望んでもいないのに、
大中小の、辛く苦しいバリエーションが、豊富に存在する。
思いは、実現する?
思いは、実現しない?
答はひとつなのに、なぜ問いかけは二つもあるの?
それが答。
なんて回答は、あまりにも酔狂?
疑問符が存在しない世界と、
疑問符が存在する世界とが、
メリー・ゴー・ランドしてる。
それが、宇宙の愉快なミュージカル・コメディ。
観客の私は、
眼差しを通して、
舞台の上でコメディしてる!
そして、「観る」ということは、
対象をスライスするということ。
(スライスするリズムは、愉快なミュージカル・コメディの乗りで!)
日々、眼差しは、一瞬、一瞬、対象をスライスしている。
そして、スライスされた一枚の裁断面は、
その一瞬を通して多くを語る。
しかも、そこから抜け落ちる、その前後の物語も豊富。
しかし、連続性の響きを残す裁断面は、
その前後の物語のエコーをも、今という時の中に響かせる。
それはもう多彩に重なり合う、今という時のハーモニー。
その中の、ひとつの現実は、
その奥行き豊かなハーモニーに支えられた、ひとつの響き。
そして常に、一度に感じられるのは、ひとつの響き。
しかし、常に、それを取り巻いて、
それを支える多彩なハーモニーが躍動している。
でも、そうでありながら、
やっぱり、それは、たったひとつの物語。
一枚のスライスに重なり合う、
幾つものあったかいハートが奏でる、たったひとつの物語。
そのぬくもりの中で、
次の一歩が選択されるのならば、
その歩みは、どう転んでもいいんじゃないでしょうか?
(そう、その歩みは、どう転んでも、
観察次第で、
おもしろい展開にもっていけるんじゃないでしょうか。)
だって、宇宙の愉快なミュージカル・コメディは、
その展開を書いたシナリオ・ライターだって、
アドリブが含まれるミュージカルの、
次の展開は読めないのですから。
でも、シナリオ・ライターも舞台監督も、
(そして、深いところでは、
すべての観客も、つまりすべての登場人物たちも)
何も心配してないみたいです。
だって、それは、どう転んでも、
愉快なミュージカル・コメディだと、
一人残らず納得しているようですから!
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