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ヒマラヤ聖者の生活探求より:
本当は自分にだけしか出来ない自分のことを人にやって貰おうと、他の人や物に期待するかぎり、平安や調和を得ることは不可能である。何人(なんびと)もわれわれがすでに所持しているのをわれわれに与えることは出来ないし、われわれ自身の中にありはするがその開顕を拒んでいるもの(完全なる実相)に目覚めさせることもできない。われわれの必要とするものを与えたり、われわれの必要に応じてわれわれに尽くしうるのは、世間や世間の人々ではない。善き賜物、完全なる賜物はすべて上より来るのである。宇宙の法則は大原理即ち神より来り働き、個人個人を通じて現れ、神自らを、本来相を、奉仕を通じて世に与える。もしわれわれがこの過程を逆にして、世と世の人々に先ず自分に与えることを先に期待するならば、われわれは失望に逢着せざるを得ないのである。・・・・
・・・人間自身の本質は生命(いのち)の書(しょ)である。もし人間が自分の内なる性質にある「久遠の性向」を学んで、自分の性質の最奥にあるものを広げ伸ばすならば、彼は自己を知り、宇宙を知り、宇宙の法則を知るものとなるであろう。それには何も教えて貰う人は要らないのである。
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先日友人とパートナーシップについて話をしました。互いに理解しあえない時、自分のことを理解してもらえない時、パートナーを変えれば自分のことを十分に分かってくれる相手が見つかり、望みの現実が手に入るのではないかと思うことがあると、、そういう思いが頭をよぎったことのある人は少なくないのではないでしょうか、、、そしてそれは見果てぬ蜃気楼を追い続けるようなものかもしれません。同じ場所で同じものを見ていても、その意味合いや味わう体験は人の数だけ異なるのですから、、、、
自らの内なる源泉に求めずに、自分の伴侶や隣人など他に求めていると、いつまでたっても不足感を抱き続けることになり、それはパートナーシップにおいてより明瞭に体験されることがあります。
隣人には求めすぎとなることでも、内なる源泉にはどれだけ求めても求めすぎることはありません。無限、無尽蔵、万能なる供給源に請求せずに、伴侶や隣人など外に求めて不足をそれら他のもので埋めようとすると苦しみが生まれますが、自らが叡智や豊富さそのものであると気づき認めるならば、瞬時に状況は一変します。隣人に対する自分の態度もおのずと変わりますし、同時に相手も変わって、和やかで明るいものになっていたりします。
・・・過去の焼き直しのループから抜け出す人生、、、真の創造とは、自らがすでに豊かさそのものであったことを思い出し、それを取り戻すことから始まるのかもしれません。
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