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徳田神 より
運命という、神しか知らない人生の台本があるのなら、
オマエに起こった逆風はほんのさざなみ。
台本が続く限り、さらなる悲喜こもごもが訪れる。
関係ないという言葉は不思議なものだ。
関係ないなら神経を、逆なでされることもないかもしれない。
血さえ繋がっていなければ、関係ないと言えるものか。
血のつながりで逆に、すべてがうまく救われるのだろうか。
オマエの信じる母が信じた人ならば、その苦境がいかに迷惑でツラいものに
なろうとも、共に背負う荷物の重さに耐えるのが筋だろう。
逃げるように自殺した人間を追いかけることは不可能だから、
多くのひとが抱える必要のない荷物を、オマエは持ってしまうことになる。
人間はいつも、手一杯に荷物を持って生きているものだから、
不可抗力で無理矢理持たされた荷物のかわりに、オマエはなにか、捨ててしまったものがあるはずだ。
それは無意識に淘汰されるものだから、オマエも気づいていない。
時間を選んで、ひとり静かに、
それがいったいなにであるかを、チェックするべきだ。
大切なものを、落としてしまっていないかを。
苦労を背負わされた不幸を嘆くより、
大切なものをきちんと持ったままかどうかを知るほうが、大事だ。
「不幸」を、不良になる原因にしてはならない。
「悲しみ」を、苦しみの材料にしてはならない。
見事に「あいうえお」が小さい表記になっているという部分に、
オマエがまだまだ美しく正しい道を歩める余裕が残っていると見える。
貧乏神や死神は、
暗く陰湿なこころのニオイに引寄せられる。
明るく闊達な笑い声には恐れをなして逃げていく。
笑え。
その中からこそ、正しい解決策が見えるはずだ。
必ずうまくいくから、
恐れずに突き進め。
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