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はこ へ。

 投稿者:徳田神  投稿日:2005年12月14日(水)06時55分29秒
  徳田神 より


運命という、神しか知らない人生の台本があるのなら、
オマエに起こった逆風はほんのさざなみ。
台本が続く限り、さらなる悲喜こもごもが訪れる。

関係ないという言葉は不思議なものだ。
関係ないなら神経を、逆なでされることもないかもしれない。

血さえ繋がっていなければ、関係ないと言えるものか。
血のつながりで逆に、すべてがうまく救われるのだろうか。
オマエの信じる母が信じた人ならば、その苦境がいかに迷惑でツラいものに
なろうとも、共に背負う荷物の重さに耐えるのが筋だろう。

逃げるように自殺した人間を追いかけることは不可能だから、
多くのひとが抱える必要のない荷物を、オマエは持ってしまうことになる。

人間はいつも、手一杯に荷物を持って生きているものだから、
不可抗力で無理矢理持たされた荷物のかわりに、オマエはなにか、捨ててしまったものがあるはずだ。

それは無意識に淘汰されるものだから、オマエも気づいていない。

時間を選んで、ひとり静かに、
それがいったいなにであるかを、チェックするべきだ。

大切なものを、落としてしまっていないかを。
苦労を背負わされた不幸を嘆くより、
大切なものをきちんと持ったままかどうかを知るほうが、大事だ。


「不幸」を、不良になる原因にしてはならない。
「悲しみ」を、苦しみの材料にしてはならない。

見事に「あいうえお」が小さい表記になっているという部分に、
オマエがまだまだ美しく正しい道を歩める余裕が残っていると見える。

貧乏神や死神は、
暗く陰湿なこころのニオイに引寄せられる。
明るく闊達な笑い声には恐れをなして逃げていく。

笑え。

その中からこそ、正しい解決策が見えるはずだ。

必ずうまくいくから、
恐れずに突き進め。
 

怖ぃです。

 投稿者:はこ  投稿日:2005年12月12日(月)02時30分0秒
  今年、母が再婚しました。今、私と母とその再婚相手と3人で暮らしています。
その再婚相手の父親が、つぃ先日自殺されました。借金を抱ぇてぃたらしく、それが払ぇなくなったからだったそぅです。
その借金は、本人が亡くなったからといって、帳消しになる訳では勿論ぁりません。なので、遺族でぁる奥さんゃ、娘、そして長男でぁる再婚相手で分担して払ぅ事になりそぅなのですが、私はそれが嫌なのです。血も繋がってぃなぃのに、そのために今の生活に支障が出るのが嫌なのです。母も再婚相手の父に借金がぁるなんて事は全く知らされず結婚したそぅです。ぁる今結婚詐欺だとも思ぇてきてしまぃます。
私は今19歳です。こんな風に思ってしまぅ私の心は、ゃはり醜ぃのでしょぅか。
徳田神様、教ぇて下さぃ。
 

司 へ。

 投稿者:徳田神  投稿日:2005年11月30日(水)06時32分38秒
  徳田神 より

話上手は聞き上手。

1000年前から伝えられる秘技だが、
その神髄の簡単さゆえに、ときに軽んじられる。

インプット無きアウトプットはない。

相手の話を聞いてこそ、自分の話が生きてくる。

まずは相手を知り、
その上で己を知る。

さすれば、
百戦して危うからず。

2000年以上前から伝えられる兵法の奥義。


とにかく、聞き上手になること。
聞き上手でもあり、話し上手でもあろうと欲張ってはならぬ。

話したいけど聞きたくはない、という身勝手な姿勢では、
到底話し上手にはなれない。

聞き役に徹することが普通にできるようになれれば、
オマエは自然に話し上手になっていける。

話ベタな自分だ、と認識しているのならば話は早い。
あとは、

聞きまくるだけ

だからだ。

自分のことを話すのは1年ほどあとにして、まずは
聞きまくれ。
問いまくれ。
待ちまくれ。
知りまくれ。
うなづきまくれ。
あいづちを打ちまくれ。


そうすればきっと、
オマエに打順がまわってくる。

今までに聞きまくった知識と教養で、オマエの話はおもしろくなる。

そして話すことと聞くことの分量を、うまく配分できるようになる。
その状態を
「話上手」と呼ぶ。

しゃべりがうまいということは、しゃべるにまつわるすべてのことが上手ということだ。音声を発することだけが得意な人になってはいけない。

「あの人、自分のこと話さないよねえ」なんて言われてしまえば、
成功だ。

話し上手への成就は近い。

決して「しゃべり上手」になってはいけない。

まずは聞き上手。

聞きベタなオマエに、大事を打ち明ける人はいない。
重要視されるには、大切な事だ。





細かい悩みもさらに受け付ける。
 

悩んでます

 投稿者:  投稿日:2005年11月28日(月)09時37分37秒
  どうしたら話上手になれますか?

http://j

 

のん へ。

 投稿者:徳田神  投稿日:2005年11月 6日(日)05時36分15秒
  徳田神 より


神様は助けない。

行く筋にも分かれる分岐路で、
ただ清明なる方向をそっと指し示すだけだ。

オマエが今悲しいのは、別れたあとにグダグダと続けていた関係に原因がある。
遠からず近からず、微妙な距離感で楽しめるとオマエは勘違いをしていたようだ。

彼に好きな人が出来たことにショックを受けてモヤモヤが起こっている、というのは、
「嫉妬」である。「ジェラス」である。

しかしそれは、必ずしも恋愛感情からくる悋気(りんき)ではない。
友達関係にも、嫉妬はある。
子供どうしにも、ジェラスはある。
犬にだって、焼きもちはあるのだ。

恋愛的な独占欲を犯されたという怒りと、
なんだ、こっちばかりを気にしてはくれないのね、という友人的な嫉妬が、ないまぜになっている。


オマエは別れたあと、
徹底的に独りになって苦しむという作業から逃げて、ズルズルと関係を続けてしまった。
それが、妙に友人的ヤキモチを入り込ませる原因になってしまっていて、ただ恋人同士だったときのような「浮気に対する感情的な炎」になりきれずにいるのだ。



じかに触れられる距離で、分かち合った彼氏との時間。
ある日それは、別れと言う名のもとに終わりを告げ、
オマエはガラスごしにしか、彼氏をみることが出来なくなった。
近いけれど、触れられない。
しかしその距離感を、オマエは楽しんでいた。

彼氏の言葉によって、

じつはそのガラスが、

鏡だったことにオマエは気づいた。


彼氏だと思ってみていたのは、

実はオマエ自身の姿だったのだ。

孤独に耐えてこそ、ひとは大きくなる。
人を憂いてこそ、ひとはたくましくなる。
にんべんに、憂うと書いて、


『優しい』と読むように。





細かい悩みもさらに受け付ける。
 

神様

 投稿者:のん  投稿日:2005年11月 3日(木)00時07分44秒
  私は2週間程前に四ヶ月同棲した彼氏と別れました。別れた後もたまにメールをしたり電話をしたり彼が私の部屋に遊びにきたり…という関係にありました。先日その彼とメールをしていると彼に今気になる女性がいると聞かされました。私も別れを告げられた後の3日程は泣いていましたがその後は一人の生活を満喫し彼のこともすっかり吹っ切れたつもりでいたのですがそのメールを見て今、別れた直後のような気持ちでいます。まだ彼を好きで悲しいのでしょうか、それとも彼が自分とは別の女を見ているということに対してのショックなのでしょうか。自分でもこのモヤモヤが何かわからずとても複雑な心境でいます。神様、たすけてください…  

あらためまして

 投稿者:徳田神  投稿日:2005年 9月16日(金)08時39分13秒
  徳田神 よりご挨拶

ワタシが、ユア守護神の徳田神です。

このサイトは、あらゆる 人間関係・法律問題・暴力団の威嚇・今夜のおかず・異常な味覚・ボケ・ツッコミ・ネタづくり・オチ探し・大喜利のお題・コントの設定・金銭のトラブル・地縛霊の威嚇・お肌の乾燥・抜け道情報・恋愛の不器用・性交の小器用・日常のささいな苦労など、さまざまな悩みを抱える現代人のすべての悩みに対応し、親切に深く、丁寧にたまに乱暴に、そして時に適当に、全体としてほがらかに、お答えしていこうという主旨により、設立されました。

アナタの生活にはウルオイが、そして心にはヤスラギが、与えられることでしょう。

さかのぼって見てみれば、その回答のすがすがしさに鼻の奥までメントール。

完全無料です。
 

通りすがりの者

 投稿者:匿名  投稿日:2005年 8月27日(土)08時46分53秒
  通りすがりの者です。
ちょいと機会があったので覗いてみましたが・・・、何かえらい変わってるな・・・。
気になったんですが、「徳田神」って誰ですか?
もしや、はちか?!
 

シスター へ。

 投稿者:徳田神  投稿日:2005年 7月29日(金)06時58分29秒
  徳田神 より

お金や数字にとらわれて、少しずつ冒されていく人間は、
しょせんその程度の器しかもっていない。

ズバと切り捨ててよろしい。

その程度の人間どもが描く夢はしょせん、大きいようで小さい。
お金や数字に人生の頂点があるのならば、苦労はない。
富豪や王はただそれというだけで、地獄に堕ちるサダメにある。

彼らを思うのならば、
その考えを伝えるのは正しい方法でもある。

しょせんその程度の器の人間たちであるから、その直後から改心して初心を取り戻す、ということは多分ないであろうが死ぬ間際、あ、あのひとの言ってたことはこういうことだったのか、と走馬灯に悔悟の念が宿ればそれでいいのではないか。

なぜひとは、大切なものを見失うのだろうか。
なぜ、「大切なのに」見失うのだろうか。

細い橋を渡るとき、その高さが地面から1mの時と、100mの渓谷の時とでは、
どちらがしっかりしていなければならないか。

安全を優先させて、高度100mの時の方が、きっちり歩かなければならないはずだ。しかし現実はどうか。グラグラ足下がゆれガクガクひざが震える。脂汗が出て神経がおかしくなりそうになる。

命に関わる重大な時ほど、人間は不安定になる。
人間とは、そうできているのだ。

オマエの理想でいえば、
地位や名誉を手にしたあとでもなにも変わらず存在している彼ら。

よく見つめてみれば、オマエは
「彼らは変わった」と非難しながら、
相手にされなくなってきたことにイジケているだけではないか?
彼らの想いとオマエの想いが、当初は同じだったと、なぜ言い切ることなどできるのか?

オマエの幻想に、付き合う義務は彼らにはない。

同じく、
彼らの夢にオマエが振り回される義務もない。


離れるほど近くに、感じるのが絆。

オマエは、何を見ている?
 

徳田神様。

 投稿者:シスター  投稿日:2005年 7月26日(火)01時45分14秒
  聞いていただきたいことがあります。
私の周りには、大きな夢を持って頑張っている人達がいます。その人たちの活躍を、私はファンとして、友達として、ずっと応援してしてきました。
しかし最近、活躍する程に変わっていってしまっているように思え、距離を感じるようになりました。
私自身、彼らの成長を見られることはすごく嬉しいし、応援している気持ちに変わりはありませんし、彼らが一生懸命頑張っているのはよく分かります。
しかし、彼らの変化は何か基本的な、大切なものを見落としているように感じてしまうのです。お金や数字に少しずつ犯されているような…。。
私自身、昔より彼らに費やす時間や気持ちは少なくなったし、彼らの世界に入り込めなくなった部分もあるとは思うのですが、彼らへの根本的な想いは変わっていないつもりです。
意見を言えない立場ではないのですが、今、私のこの気持ちを伝えるのは、彼らの今の想いに水をさすことになってしまいそうだし…。でも、何となく感じる嫌な予感のようなものが引っ掛かって…。
距離が離れていっていることが淋しくて、こんな風に思うのかな?とか、過去にこだわってるだけなのかな?とか、自分自身を客観的に見てみたりもしたんですが…。
お言葉をください。
 

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