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徳田神 より
神に“アドバイス”を求めるとはなんたるバイト仲間感覚だ。
困ったものだ。
愛が冷めてしまうと感じたという事は、
やはり初期段階が「アツアツ」で、
それは単に
熱を持つ食べ物とか、
上昇する体温だとかに例えているということを忘れている。
単なる例えであるはずの
「熱」を、
本当だと当てはめてしまうから、
移り変わる感情の違いを「冷めた」などと一方的に悲観的にとらえてしまう。
それに比べて
「別れ」は単に「悲しい」とストレートだ。
別れに対して
「粘ついて糸をひきそうな」とか
「つきすぎたモチのように」などということは言わない。
つまり先ほど言ったように、
「愛が冷める」というのは、例えだったのだ。
付き合い始めがなぜ楽しいのかというと、
それは無理矢理なレールに自分が乗って、
強制的に「恋の道」を突き進むからである。
付き合い始めることは自分で決めるものだが、
その道のりで起こることは予想しがたい。
ちょうど、ジェットコースターと同じである。
乗る事は自由意志だ。
誰も悪くない。
しかしそれが怖くて楽しいのは、自分ではコントロールできない
ハンドリングとスピードで、無理矢理引きずり回されるからだ。
自分で運転できるなら、きゃああと叫ぶこともなくなる。
第一それを、ジェットコースターとは呼ばないだろう。
自分でコントロールできるようになってくる
「付き合い」というレールに、また新たな障害を設けることができたなら、
マンネリとか繰り返しだとかいう恋の怠惰も解消されるかもしれない。
遠距離だとか、ライバル出現とか。
しかしそういう邪魔者を克服できずに、ダメになることもある。
自分で乗車賃を払っておきながら、酔いに酔ってゲロゲロゲーッな場合もあるのだから。
つまりオマエが物足りなくなっているのは刺激が足りないからである。
どんな状態で始まった恋であっても、いずれ訪れる段階である。
オマエは、視点を変えねばならない。
今まで、相手のどこを見ていたのか。
これからは、もっと奥を。
さらに奥を。
ちょうどその奥に、自分ならなにがあるのかを。
恋は娯楽だが、
愛は違う。
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