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(無題)

 投稿者:チョコ  投稿日:2008年 1月15日(火)00時54分46秒
  いつもいつも神の言葉には助けられるばかりです。
自分が傷つく覚悟で刃の方を握ることに決めました。
またどうしても神の言葉が必要になったら訪ねてきます。
本当にありがとうございました。
 

チョコ へ。

 投稿者:徳田尊  投稿日:2008年 1月11日(金)16時32分13秒
  徳田尊 より

物事の捉え方には、なん種類かがある。
自分で“名づけ直す”ことによって、その内容の見えなかった部分がまざまざと見えて来ることがある。
ツラかった思い出を「いい経験」と名づけ直せばまた効果的なエッセンスとして活用もできるし、
いい思い出を「馴れ合いの所産」と名づけ直せばまた、反省の材料として今後に活かせよう。


甘えと好きは、ハサミの両端だ。
不用意に両側を近づければ、挟まれた相手は傷ついてしまう。
でも、彼を刃の外に出すのはイヤだから、挟んでしまわないように、内側にとどめている。
この不安定な状態は、その二本の感情が、オマエの手元で交差してしまっていることに原因がある。

心の支点でクロスしてしまっているから、動かすと内側の刃(やいば)で相手を傷つけることになってしまう。
だからオマエも、不用意に動かすことをためらっている。
その交差を外し、お箸のように素直に二本で包んであげられたら、切り刻むようなことは起こらない。
交差を外す、とは、切れる側とは違う側で相手を挟め、ということだ。

つまりオマエが今、「傷つけたくない」と感じているのは相手ではなく、オマエ自身なのだ。
また我が身かわいさから誤摩化しをして、相手を思いやっている風を装って、自分が傷つく事だけから逃げている。
うまく利用しているつもりがいつのまにか利用されていて、それに気付かぬフリをする。

人間は傷ついて、痛みを覚えて、そこから回復するとき、マイナスからフラットに戻るついでにプラスを獲得する。

自己愛をどれくらい相手の為に取っておいてあげるかが、思いやりの素になる。

付き合うことを面倒と感じるのは、

オマエが、2007年まで続けていた関係を、
お前が続けていた“片思い”とやらのことを、
「性欲のために遊ばれていた」と名づけ直すことができないのであれば、
新しいオマエにも強化は期待できまい。

完璧などない。
傷つけ、傷つき打ちのめされても、素直でいればよい。
“あたしはこうなんだ”と自分を規定してしまうのは、
“あたしはこうでしかないんだ”と狭めてしまうことに他ならない。

自分が自分につくウソは固まりやすい。
誰も見抜いてくれないまま、歳をとってしまう。
いつしか気付かぬまま、違う自分が組み上がってしまう。
それが「こんなはずじゃなかった」という後悔に繋がる。

オマエを変えるのは、「たった一言」などではない。
「相手を優しく見つめる千の目」だ。

オマエはただ、いるだけで価値がある。
なにが出来るからとか、見た目がどうだからだとか、どういう人だからだとか、
そんな理由ではない。

オマエには、もうすでに大変な値うちがある。

そんな目で相手を観てみよう。
オマエに出来ることが、わかってくるはずだ。

それがオマエの望む、
『一緒にいることが自然で柔らかい穏やかな恋愛』のきっかけになるはずだ。


愛は、打算からは生まれない。





細かい悩みもさらに受け付ける。
 

徳田神、お言葉をください。

 投稿者:チョコ  投稿日:2008年 1月 6日(日)17時45分10秒
  お久しぶりです。

何年かぶりについに相談にきてしまいました。





私には片思いをしている人がいました。

『想われて付き合い、結局自分が好きになりきれず相手の想いに応えられないのが辛くなり別れる。』
そんな恋愛が続いていた私に片思いの楽しさ、恋する気持ちを思い出させてくれた人でした。

徳田神の『見返りを求めるな』を胸に
ただただ気持ちだけで動いていた。
一緒にいられるだけで幸せ。

身体の関係もあるけど
彼に付き合う気はないのは明らかで
相手にとって自分は都合が良い女なのも分かったうえで
会いに行っていた。


でもこれ以上続けていても変わらないし私は次の恋にも進めない。
だから年の節目に自分から
もう会いに来ないと告げて来ました。


2008年はまた新たな恋愛をしようと。
今度は追いかける恋じゃなくて
一緒にいることが自然で柔らかい穏やかな恋愛がしたいと思ったんです。




そんな矢先一人の人と出会いました。

一緒にいることが楽で自然で私をうまく甘えさせてくれる人。


きっとこんな人を私は求めているんだろうなと思いつつ


告白されて今どうするべきか悩んでいます。


応えにどれくらい時間をかけていいのか?
何が決め手になるのか?



自分が片思いの相手にされていたことを今人にしている。


くるもの拒まずしかし受け入れもせず。


たった一言で状況が一変することが分かるから
だからそのたった一言が言えないんです。


一言の重さに気持ちが負ける。


今なおあの人の気持ちがよくわかる。

手放したくないが追うことはしない。

自分に余裕がない時には求めない。

きっと私も仕事が忙しくなったらいっぱいいっぱいになって
考える時間は減ってしまう。



このままでいたらきっと
あたしがあの人から去ったように
人はあたしから去っていくんだろうと思う。


傷付けたくないけど甘えてしまう。

そう思うようになってから
あたしは傷付かない人に甘える術を覚えました。

お互いがそう考えているならうまく成り立つ。

意外とそういう人間は多いことも知った。


でも一度そうなると彼氏彼女の肩書きの必要性を感じなくなる。

肩書きがない方が楽で自由だから。

付き合うってなんだろう?は私の中での永遠の謎です




甘えと好きの違いを教えてください。
 

オレンジへ。

 投稿者:徳田尊  投稿日:2007年 7月15日(日)04時57分47秒
  徳田尊 より

いくら身近でも、神はそばにはいてあげられない。
しかしいつもオマエと重なり、同時にいつも、オマエを見ている。
心の中で手を合わせれば、いつでも神はそこにいる。
決して、クンづけで呼んだりし始めないように。



人は、弱気になる。
人は、誰かに支えて欲しいと祈り、支えたいと願う。

人は、心を冷たくすることで悲しい現実を乗り越える。
人は、気持ちに嘘をつくことで辛い事実をやり過ごす。

自分の心の、「間取り」を考えよう。
扉を開けてすぐ、寝室のあるような心は、あけすけ過ぎていけない。
だからといって、玄関のドアがどうしても開かないようだと、
人間関係がうまく築けない。

玄関と居間のあいだに、新たにひとつ部屋を設けてはどうか。
その扉には小窓がある、バレないように表を窺える程度の。
親しい人はさらに奥へ通せばいいし、警戒すべき他人は、
そのドアの前で応対すればいい。
相手は「玄関の中へ入れてくれた」と安心するだろう。

まさかオマエの心の奥に、地下室までもがあるとは思うまい。

良くいえばクッション、悪くいえば谷間。
その間隔をあけることで、オマエは世界を、少し冷静な目で見つめられるだろう。

強い精神力が、必ずしも明るい人生を導くとは限らない。
なぜなら、「誰かに側にいて欲しい」と願うことすらなくなるなんて、
寂しすぎるじゃないか。

「誰か!」と心が叫ぶ事は、決して悪い事ではない。
しなやかに心が保たれていれば、いくらしなっても、
折れることはない。
強い精神力とは、固く冷たい心を言うのではない。
決して折れない、柔軟な思考のことを言うのだ。

「自分の間取りは、いつでも変えられる」
とこころに信じることが、強い精神力を生む。

限界を、勝手に決めてはいけない。
人は、人以上になれる。
 

(無題)

 投稿者:オレンジ  投稿日:2007年 7月 5日(木)16時41分18秒
  徳田尊さん

大変失礼いたしました。
えべっさん♪みたいな感じで神を勝手に身近に感じておりました。

悩みというか愚痴でしたね、すいません><
でも神さんに色々話すとすっきりするのです。
神のいうように「弱み」を克服することを考え次回、同じようなことが
あったら対応できるように若いスタッフにもマニュアルを作ってみようと思います。

おかしいとわかっていても、折れるという形で対処するのも一つの手で
目的は「収益をあげる」ことだったんですよね、改めて考えました。
人に中傷されたり攻撃されたりすると人は凹みます
でも、それにひるんでいてはいけないんですよね。

ありがとうございました。

そして今回ひとつ感じたのが、こういう凹んだときに
だれか側にいて欲しいとふと思うものなんだな〜と。
強い精神力を養うにはどうすればいいのでしょうか?
 

オレンジへ。

 投稿者:徳田尊  投稿日:2007年 7月 1日(日)05時53分25秒
  徳田尊 より

こう気軽に「徳田さん」などと呼びかけられるとは、なんたることだ。
母音を変えるだけで「徳田神」、あるいは「徳田尊」と呼ぶ事もできるので、
今後は参考にしなさい。「金毘羅さん」「大黒さん」「弁天さん」みたいな
感じだと解釈すれば、神はすぐに怒ったりはしない。

結局オマエの悩みのど真ん中はどこなのだろうか。
神に、仕事のグチを聞いているヒマなどないぞ。

商売をする以上、最大の目的は「収益を上げること」にある。
顧客の要望が細分化・マニアック化することが可能になった(商品の情報を個人で
多大に収集することができる様になった)ため、月に1個しか売れないような
商品が無数に存在する。今までなら、その小さな販売数の商品は
もう製造を中止するべき方向だったのが、その「月に1個」が大量に並ぶ現象が、
平気で起こるようになってきた。それを「ロングテール」と呼ぶ。
まさに長い尾。

クレイジークレイマーの存在は、昔なら考えられなかったことだと言われている。
それは学校教育における「モンスター親」と同じ。
数的には永遠に少数派であろうが、そのストレスは店側や教師には耐え難い苦痛になろう。

使う方のやり方に問題がある場合、そのクレームは当然意味のないイチャモンにすぎない
わけであるが、それを「あなたはウソをついている」と喝破できない弱みが、
店側にはある。その弱みとは、いったいなんだろうか。

それは、悪評の恐れ。
それは、裁判などのさらなる徒労。
それは、直接的な暴力。
それは、将来の顧客の喪失。

これらの「弱み」を分析し、克服することが、
「クレームに対する態度」にうまく反映することにつながるであろう。

お金を払う側が無条件に偉い、と思い込んでいる輩は意外と多く、
飲食店などでも、まるで召使いを呼ぶように店員に命令する姿を見ることがある。

お客は「自分は何に対して、金銭を払っているのか」を、考えねばならない。
店側は「自分たちは何に対して、金銭をいただくのか」を、考えねばならない。

商売とは、奴隷になることではもちろんない。
金で売り渡すものを、限定するからこそ成り立っている。
そこに、プライドが生まれる。

クレームに対するアフターケアも商品代に含まれていると考えれば、
原価に上乗せした利益にどれだけのサービス料を含めるかは、
店それぞれに違うはずだ。

人間としてのやりとりが限度を超えた横柄なものになるなら、
そこで平身低頭して謝罪することはない。

ちなみに謝罪には「人・場所・時を変えろ」という法則がある。
謝る相手が変われば、怒り主も怒号の持って行き場を失い、
近くの喫茶店などに場所を移動すれば、怒り主も大声を出すわけにいかず、
後日に日程を据えれば、どんな怒り主でも幾分か冷静さを取り戻す。

個別のケースに差異がありすぎて確かな助言は出来ないが、
やはり「サービス」を、どこまでと考えているかが、鍵になるであろう。

「ゴネ得」や「文句で利益を得る」などを目論む人間には、
必ず神罰が下る。必ず、だ。

人がやっていても、自分はやらない。

そう考えることが、なにより大事だろう。


細かい悩みも、さらに受け付ける。
 

クレーム処理の仕方

 投稿者:オレンジ  投稿日:2007年 6月26日(火)10時31分42秒
  私はお店をしています。
商売を大きくしたり売上が大きくなればクレームや嫌がらせなどさまざまな状況に
遭遇したりします。
それは仕方のないことなのですが・・・返品や交換ですむ場合ならまだいいのですが
お客様がうちの商品を使ってケガをしたというのがありました。
クレームを言ってくる方はほとんどといっていいほど、おおきな声で怒鳴ったり電話で
威嚇したりすることが多く、それに冷静に対処しなければならないのですが・・・

ただそのときに怒りがなかなかおさまらないっていうのがあり
結局はお金で納得してもらう形になることもあります。
「お金で済むのならそれでよしとしよう」と思う反面、「非がこっちに一方的にあるわけ
ではないのにお金を払う必要があるのか?」ということ。

大きな組織でマニュアルもあり適切な対処?をすぐにできればいいのですが
なかなか末端の店頭ではそれができないのが現状です。
今回のようなことがないようにあらゆる場面を想定してこれからの対処の仕方を
考えなければ・・・と思う一方、メーカー側は自分のところで対応しますから
何も言わずこっちにまわしてくださいと言います。
そうしたいのはやまやまなんですが、故意にかどうかはわかりませんが
クレーム発生するのはメーカーが休みとか営業終了してからというのが多いもの。

そんなときに、「メーカーが直接対応しますから・・・申し訳ございませんがもうしばらく
お待ち願います」と言ったところで「はい。待ちましょう」というような人は
クレームにほとんど来ませんしね〜。。。
かといって、店頭で大声で怒鳴られあれこれ言われてもお店も営業できません

今思えば、もっと冷静になり別のところへ移動してもらいきちんとお話をきいて
納得できるまで話すのが一番なんだろうとは思うのですが。。。

私の父が社長なのですが父なんかは、どっちが悪いとかいいとかの問題じゃなく
とりあえず、謝罪して治療費は払え!という見解で今回はその指示にしたがいました
結局、不良品ではなくお客さんの後のケアになんらかの問題があったためケガをしてしまったということがわかったんですが、そうなる可能性が注意書きにもなかったし
痛い思いをしたことをくんで欲しいといわれ、お見舞金を渡すことになりました。

金額提示はないためこちらの気持ちで渡したのですが、また同じように足元をみられて
こられないようにとも思うし、いろんな注意書きも必要なのかな?とも思います

ダラダラと書いてしまいましたが、CMでもよく小さく「マネしないでください」とか
「すべてがこうなるわけではございません」とか書いてあるじゃないですか・・・・
昔はこういうのって常識とか良識の範囲だったのに今は本当に違うというか
昔も変なクレーム言うひとはいたんだろうけど、今は普通っぽい人でも言ったりとか
人数が昔より多いんでしょうかね〜?


どうするのが一番適切なのか、徳田さんはどう思わはりますか?
 

ふわまろ へ。

 投稿者:徳田神  投稿日:2007年 1月 1日(月)22時48分23秒
  徳田神 より

彼女のこころと共に進めない彼の音楽とは、
いったいどんなものなのだろう。
自分の音楽が大事な女を邪魔だと映す彼のこころとは、
どんなものなのだろう。

苦しみの深さは優しさの苗になる。
安易に手軽な関係を維持してしまうと、
平気なまま強くなったつもりでも、
こころの内側の傷は人に見えぬまま、音もなく痛みを増してゆく。
悲劇のヒロインはいつも自虐的で、泣きながら笑う。

ひとはなぜ、なくしてから気付くのだろう、大切なものの大切さに。

いや、本当はいつも、気付いているのだ。
わざと確かめずに手をつないできただけだ。
互いの温度のかすかな違いに本当は気付いていた。
怖くて、悲しくて、時間がもったいなくて、そして自分自身がかわいくて、
氷の壁から逃げていた。

彼の行く末を思う時、なぜ自分がそばにいないのか不思議に思わないか?
オマエが今後、彼と「知り合いぶった関係」を保ってゆく中で
「新しい彼女です」と紹介されたりしたら、
オマエの気持ちはどう揺れる?

彼を理解したような、
妙にリコウぶった顔をするのをやめろ。
もがき苦しみ逆い泣き叫ぶはずの別れを、
相手を思いやる優しさで乗り切ったフリをするのをやめろ。

気持ちの動きを追いかけて納得することはできるだろうが、
現実の関係をしっかりと見ろ。

捨てられた惨めさを、切ない思い出で美化しすぎると、
いつか癒されたはずの傷口が開くぞ。
そして同じ過ちは繰り返される。

くされ縁だとあきらめて、
傷つきながら永く付き合ってゆくという道もある。
まったく新しい恋と愛の道を探す、という道もある。

どちらにしても、
自分を誤摩化さないことだ。
いい人ぶっていると、心の幹が歪みだす。

後悔の材料は、
いつも魅力的に目の前にある。
もっと自分中心に、
考えてみるべきだ。

より素敵になりたいのであれば、
まず彼のライブに行くのはやめておくがよい。
優しい歌は、もっと別の場所にある。

細かな悩みもさらに受け付ける。
 

(無題)

 投稿者:ふわまろ  投稿日:2006年12月21日(木)02時47分4秒
  二週間くらい前に付き合ってた人と別れました。
彼とは、付き合う前から喧嘩ばっかりで、付き合ってからも何回も何回も喧嘩をして別れ話をしたりしました。
お互い全く違う価値観で、相手に求めるものも違ったりしてました。
似てなくてもいいような所が似ていたけど、私の持ってないものもたくさん持っていて、いろんなことを言ってくれたし、いろんな事を教えてくれて、いろんなことに気づかせてくれました。その人と居て成長していく自分が目標みたいにも思ってました。
そう思えるように私がなっていっていた時、彼の出した答えはお互い求めるものや考え方が違うから区切りをつけることでした。
何度も喧嘩をして話し合った日々があってこそだったから、ずいぶん考えたんだろうと思う彼の答えを、受け入れるしかありませんでした。
今思えば、もっと自分の気持ちを言えばよかった・・・。でも、同情で付き合っていくことのほうがもっと溝ができるようで怖くて引き止めれませんでした。
今思うと、彼の言った別れの理由はもちろんのこと、彼に余裕がなかったんだと思います。
毎日仕事をして、休みには音楽活動をして私の相手をして、平日も練習をしたり、私が居たりでさらに喧嘩になったり・・・。
こんなだから、重たすぎてもいたんだと思います。きっと。
でも、いろいろ頭ではわかってるんだけど・・・。
でも、私の中での彼が大きすぎてやっぱり整理がつきません。
もともと古くからの友達だったので、友達のような家族のような恋人のような存在だったので。
別れ際に思い出といって抱き合ってキスをした後、私が泣いて車に乗りさよならをしたときの泣き出しそうで泣くまいとしている顔が忘れられません。
でも、どうせ今戻ってもまた同じ事を繰り返すだけなのも、なんとなく分かります。
だから時間をかけようと思うんですが、やっぱり寂しくて辛くて。。。
友達なれるときにそっちから連絡をしてきてと言われたんですが、戻りたいって思っていたらタイミングが難しい。
別れた今も彼の友達とつながりがあったりもするし、また彼のライブにも行きたいんです。
でも、友達に思えないうちは行かないほうがいいですよね?
距離をおいたほうがいいですよね?
時間が解決してくれるってみんなは言います。そうだと思います。
でも、そう思いたくないんです。
勝手すぎますかね?
 

徳田神様へ

 投稿者:にこ  投稿日:2006年10月 9日(月)14時07分54秒
  ほんとうにありがとうございます(;_;)
ずっと心にあったもやもやがだいぶましになりました。。



がんばります!
 

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