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徳田尊 より
人間のもっとも、そして唯一すばらしいところは、その「順応性」にある。
どんな苦しい境遇での浸かっていれば慣れるし、空気を吸い続けると麻痺してくる。
結局おなじような人を好きになってしまうのもそれに近いし、
「家庭の味」が不気味なほど脳の奥底にこびりついているのもその典型だろう。
人間関係の複雑さは、そんな順応性が、多角的に蠢いていることから起こる。
まだ順応していない場所が、他人の、
妙に順応しているところとぶつかると、摩擦が起きる。
順応している方がなにせ麻痺しているので、不感症的になにも思わない。
こちらはまだ麻痺までに時間がかかるから、こころのザラつきでイラついてしまう。
極端な言い方だが、どんな目上でも、どんな立場の差でも、部分的に、
あくまで部分的に「勝たねばならない」時がある。
勝つ、負けるの二元論で人間関係を語るのはいささか危険だが、単純化して言おう。
勝ってさえいればそれは「認められる」ということになる。
どんな人間にも面子があるから、大きく目下が勝つわけにはいかない。
くじけた面子は地下に潜り、暗鬱で陰険な嫉妬に育ってしまう。
しかし部分的に、多面体の一部として「勝つこと」は、
かえって円滑な関係性を築くのに役立つことだろう。
もっと単純化して言おうか。
その、15年のベテランを、辞めさせる方法を考えてみろ。
なぜ、自分が辞めるか辞めないかで悩んでいたのかを考えてみろ。
オマエのキャリアが15年になる頃、そのベテランが現職である必要はない。
自分を完膚なきまでに押さえ込んであげるほど、貴重な存在でもあるまいに。
打ち破らねばならない。
それらの苦手意識を打ち破らねばならない。
そしてそれは出来る。
必ずブレークスルーが待っている。
自分への喜びを捨ててまで、他人を立てることはない。
他者を傷つけてこそ、成り立つ「我」もある。
そしてそのベテラン先生は、その部分にのみ「順応」し、「慣れてしまってる」のだ。
壊して差し上げよ。
そしていつも最大の問題は、オマエが「自分の保身のために立ち回っている部分」を、
正直に見つめ直すことだ。
なければそれで良い。
細かい悩みもさらに受け付ける。
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